花をいける。

先日とある方から私にとって”花をいける”とは何ですか、と尋ねられました。 答えは花をいける人の数だけあると考えています。

私にとっては「花をいけるとは、向き合うこと」です。何と?どうやって?なぜ?色々と疑問が頭をよぎるかもしれません。しかしこれはずっと昔から変わっておらず、これまでに尋ねられる度に立ち止まって考えても、やはり同じ言葉が出てきます。

私は6歳から華道を始め18歳で嵯峨御流より師範を授かりました。
お花にはなぜか幼い頃から心惹かれ
自分で望んでお花のお稽古(教室)に通い始めました。10歳の時に親の転勤による転居のためそれまで師事していた華道の先生の元を離れました。けれどもやはり新しい土地でも華道を続けたいと考え、中学生になると自ら動いて新たな師匠に出会うことができました。

ときには、「お花」よりも目の前の学校生活のほうが楽しくて「お稽古(教室)を休みたい」と思うこともありました。それでも何とか足を運ぶとやはり行ってよかったと思う何かがそこにはありました。それは想像を超えた大きな学びだったのだと思います。

大学生、社会人、結婚、出産、子育て(奮闘中)。
今までの人生の中で毎日必ずお花をいけていましたと言えるような優等生ではありませんがお花をいけることは私にとって、とても大切なこと。
お花が好き!お花いけるのが楽しい!素直にそう思います。

「華道」「いけ花」というとどうしても堅いイメージがあり、日々の暮らしの中で手軽にお花を飾るのとは全く別物と思われるかもしれません。
でも花をいけることの原点は、
"花をきれいだなと思う素直な気持ちに耳を傾け、花と向き合うこと。
そのようにしていけられた花を私は立派ないけ花だと考えています。

お住まいの近くのお花屋さんに並んでいるような花で、身近にあるウツワを花器にみたてて、今の日常にそっと寄り添う普段着の花~「ケのいけ花」~を。

そして花をいける時には、花・鋏・ウツワなど作り手にも想いをはせて。
そうすることで見えてくるまた少し違った世界。

花をいける”ということが持つ力のようなものを少しでも触れて頂けるそのような時間を皆様と一緒に過ごせるようこれからも精進していきたいと考えています。